お弁当について考えたこと

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屋久島での食生活は、基本的に自炊です。
だいたいにおいて普段の生活で気軽に利用できるような飲食店じたいがとても少なく、
また夜も早くに閉まってしまいます。
「今日は忙しいから、立ち食いそばでいいや」なんて思っても、そんな店はありません。
もちろん牛丼屋もカレー屋もありません。
(思えば自分ひとりで外食したのは、ここ4か月で3、4回だけでした。)
島には24時間営業のコンビニはありませんし、
農協のスーパー「Aコープ」(一番近くても車で20分ほどかかります)も夜8時には閉店です。
うっかりしていると食事の材料を買いそこねてしまうこともたびたび。
ですから、仕事の途中にAコープの近くを通りかかったら買い物をするようになりました。
買えるときに買う。
ここで生活してると、「仕事」と「くらし」がどんどん一体化してゆきます。
良いことなのかどうか、わかりません。
意識のどこかには「仕事中に個人的な買い物をしている」という後ろめたさもありますが、
「仕事が終わったら」と思っていたら買い物もできません。
そんな暮らしの中で数回スーパーのお弁当のお世話になりました。
東京で暮らしているときにもコンビニ弁当はあまり好きではなく、ほとんど利用しません。
どうして好きではないのか?
添加物や調味料のことが気になる、というものもちろんあります。
舌がひりつくような後味がどうしても好きになれない。
でもそれだけならば、外で食べる食事だってそうそう変わりません。
先日、ひとりでAコープの幕の内弁当を食べていました。
久しぶりに食べるお弁当は、思いのほか美味しかった。
焼きサバは屋久島産、煮ものもなかなか、出汁巻きもいい具合です。
ご飯の量もほどよくて、満足。
ふう、とひと息ついて、目の前の食べたあとのお弁当(だったもの)を見ました。
ゴミ、でした。
そこに残っているのは、けっこうな「かさ」のゴミでした。
食べるだけで、こんなゴミを作ってしまう。
この気持ちは、自宅での食事や外食では生まれないものです。
もちろん自分で作っても、外で食べてもゴミは出ます。
お弁当の食べカスのように見えにくいだけかもしれません。
見えないからいいのか。それは欺瞞ではないのか。
もちろんそうでしょう。
しかし、しかし。
お腹いっぱい、あとはゴミを捨てるだけ。
そういう食事がどうにもなじめません。
どこに気持ちを収めればいいのか、よくわからない。
美味しくいただいたあとは、
作ってくれた人への感謝や、食材への感謝の気持ちが自然に湧いてくるものです。
でも、目の前のゴミを見ていると、せっかくの満腹感も、美味しかった、の気持ちも、
すーっとどこかに飛んで行ってしまうようです。
自分の空腹を満たすために、必然的にゴミを出してしまうこと。
このシステムの中で生きていれば当然、当たり前のことですが、
市販のお弁当を食べると、そのことをいやでも突きつけられるのですね。
洗い物をしながら、器や調理器具に「ごちそうさま。明日もよろしくね」と思う。
外でならば、「ごちそうさまでした」と手を合わせる。
そういう締めくくりがほしいのでしょう。
少なくとも自分はそういう人のようです。

冒頭の写真は、先日森のガイドでお世話になった「オフィスまなつ」さんのお弁当。
この包みはサトイモの葉です。
もちろんゴミになります。
でも、なにか違いますよね。

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